「ごめんじゃすまない! 自転車の事故」出版のお知らせ

交通事故賠償は,専門弁護士のむさしの森法律事務所へ 0120-815-941

ごめんじゃすまない! 自転車の事故

むさしの森 法律事務所 岡田 正樹 (著)

本書の特長は事故を起こした加害者、事故に巻き込まれた被害者の真実をもとに、それぞれの苦しみや悲しみの物語、危険運転に対する違反切符と罰則、過失の割合、賠償・慰謝料の実例、自転車用の保険、和解に導く弁護士の役目など、あらゆる面から自転車事故を解説しています。 大切なお子さんを加害者に、被害者にもさせたくない。子を持つお父さん、お母さんには必携の書です。

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代表弁護士岡田正樹による出版物です



2016(平成28)年7月21日に、本を出版しました。
題名は「ごめんじゃすまない! 自転車の事故」です。
表題のとおり自転車事故を主に被害者サイドから見ての説明をしています。
確かに、今まで自転車事故における過失相殺を扱った専門書はありましたが、全体を概観したものはありませんでした。
その点では、ありそうでなかった本だと思います。
ドキュメンタリーから交通ルール、賠償責任や行政・刑事責任を説明するもので、法律家以外の方にもわかりやすく書かれていると自負しております。
資料を入れても143頁とコンパクトです。
ちなみに、目次は次の通りです。
第一章―加害者と被害者の苦しみ 
第二章―加害者はどんな責任を負うのか? 
第三章―自転車も立派なクルマ 
第四章―自転車事故による損害賠償 
第五章―過失相殺(割合)も自動車事故とは違う 
第六章―賠償・慰謝料の実例解説 
第七章―重度後遺障害に狂わされた人生 
第八章―損害賠償は保険金だけで大丈夫か? 
第九章―被害者のための社会福祉制度案内 
最終章―弁護士による救済の道

自転車における賠償問題と同時に自動車における賠償システム、高次脳機能障害等の介護問題も理解できるように工夫をしたつもりです。
どうか、お近くの書店あるいは、アマゾン等で購入してください。自転車に乗る人も乗らない人も必読の本です!

投稿者 musashino-law | 2016年7月31日 17:27

父の日に父の背中を思う

11/6/18

父の日というのは影が薄いものだ。
しかし,影が薄いくらいでちょうど良い。
それは父親というものは,黙っていて影を薄くしている方が無難だからだ。

私の父は,既に鬼籍に入って長い。
幼い頃,銭湯でみた父の背中は赤銅色で,筋肉が隆々としていた。
子ども心にもたくましく見えた。
父は,それなりに学問は身につけたが,社会的地位も,名誉も,そしてお金にも縁がなかった。
何しろ,晩年に「借金をしなかっただけでも俺は立派だ。」と自慢げに言っていたほどだ。
「借金をする甲斐性もなかったくせに」と母に悪態をつかれながら。
いつも,黙々と仕事をして,黙々と読書をして,黙々と晩酌をしていた。
父は,手先はすごく器用だったが,生き方は不器用そのものだった。
しかし,人の悪口とねたみを父から聞いたことはなかった。

後年,親孝行のまねごとで,温泉に連れて行ったときのこと。
しばらくぶりに,同じ湯船に入り父の背中を流した。
既に糖尿病が進んでいてたくましかった背中は,筋肉が落ちて,骨が浮き出ていた。
年取ったな。苦労させたな。心の中では言えるのだが,ついぞ,正面切って声に出して言うことはできなかった。

今時,親父という言葉は,何気がなく使われている。オヤジと書くとほほえましくもある。
若い人は,女性でも,父親のことをオヤジと気軽に呼ぶのだろうか。
私は,父を親父とは呼んだことはなかった。
それは,父にそう呼ばせないだけの威厳があったからではない。

太平洋戦争中に予科練から海軍に入り南方の島々で死線をさまよった父。
九死に一生を得た後に,言い表せない戦後の動乱を味わった父。
その絶対超えることのできない時代の重さが垣根となり,親父とは呼ばせなかったのだ。

人に迷惑さえかけなければいい。自分のやりたいことをやれ。
そう言いながら,ほとんど私や弟の進路とか職業選択には関心を持たなかった。
私の入試の時も徹夜で工場の機械を修理していた。

子どもは親の背中を見て育つという。
私は父の背中を見て育ったと言えるのだろうか。             
                                                  岡田まさき

投稿者 musashino-law | 2011年6月17日 18:41

アスベスト被害者のAさんを思う

11/6/17

Aさんは,還暦を過ぎている。
アパートに一人で暮らしている。
部屋には,経済的理由で別れた奥さんの写真がきれいに飾られている。
とても,Aさんの体では養うことができなくなって,泣く泣く別れたのだ。
今でも,電話と手紙のやりとりを続けている。
二人はまだ愛し合っているのだ。

Aさんは,中学校を出てから40年以上も保温工の仕事をしていた。
有名なビルや,デパートといった,大きな建物の天井裏がAさんの職場だった。
その中をはいずり回り,一年中カッターでアスベストの入った板を切り刻んだ。
おまけに四方八方からアスベストがたっぷり入った粉じんが押し寄せてきた。
苦しくても続けないと生きていけない。
Aさんは思いきり汚れた空気を吸い込んだ。
おかげで,Aさんの肺はアスベストがからみついた石の肺になってしまった。

「汚くて,辛い仕事だったから,イイオモイをした頃もあったのですよ。」とAさんは言う。
イイオモイだなんて,アスベストを売りまくって稼いだ人たちから見たら比べものにならないのですよ。
Aさんが味わったイイオモイなんて本当にささやかなものですって。

Aさんは,アパートの2階に住んでいる。
ベットは,部屋のロフトにあって,はしごでよじ登らないと眠りにつけない。
Aさんは,酸素吸入の機械を手放すことができない。
アパートの階段を上がるときは酸素ボンベを抱えないと駄目だ。
ロフトのベッドまであがっていくことが辛い時は下のこたつで眠る。

それでも,Aさんはどこにでも行く。
アスベストで苦しんだり泣いている仲間や遺族がいると聞いたらどこでも行く。
酸素吸入器をもって埼玉・東京・横浜はもちろん大阪でも神戸でも。

私がAさんにお元気ですか。と言おうとすると,
いつも先にAさんから,しっかりした声で言われてしまう。
「岡田さん。元気ですか。」
元気をもらっているのは,Aさん。私の方ですよ。  
 岡田まさき

投稿者 musashino-law | 2011年6月17日 00:00

スーちゃんを思う

11/6/16

キャンディーズというと,今は南海キャンディーズなのかもしれない。
私の時代は,キャンディーズである。

そのメンバーであったスーちゃんこと田中好子さんの突然の訃報に驚いた。
キャンディーズは,私とほとんど同世代である。
彼女たちがトップアイドルの時は,特にファンと言うほどではなかった。
ただ,同じ時代を共有していたという思いを持ち続けていた。

私の年になると,これまでに同年代の知人友人の訃報に幾度も遭遇している。
彼女の死は,一面識もなかったのにかかわらず,リアリティを強く感じる。
それは彼女という存在が映像を通して日常生活の中にとけ込んでいたのかもしれない。

そんな彼女がガンを患い長い闘病生活を送っていたこと,
病をおして仕事を精力的にこなしていたこと,
故夏目雅子さんの意志を継いで骨髄バンク等のガン撲滅運動をしていたこと,
不覚にも初めて知った。

私は,彼女の心の強さに驚嘆し,涙する。
私は,病と死を受け入れて,それでも自分を失うことのなかった強さに驚嘆し,涙する。

昏睡状態に入る前に録音されたというテープが告別式に流された。
芸能人らしい演出という皮肉めいた見方は不謹慎と言うよりも不遜であろう。
最後の言葉であることを自覚して,東日本大震災の被災者とガン患者に向けられた心遣い,
そして死してもガン撲滅運動に関わりたいというメッセージは,箴言である。

人は,他者を思いやる心を持つことができるからこそ人間なのだ。
彼女の思いはしっかりと届いている。          
                                                  岡田まさき

投稿者 musashino-law | 2011年6月16日 00:00

2011年6月11日反原発デーに思う

11/6/15

この日,夕方6時のニュースを見て驚いた。
新宿に人が溢れかえっているではないか。
それは,3月11日東日本大震災による福島原発被害と,それに対する反原発のデモだ。
こんな大勢の人が心一つにして新宿に集まるところを見たのは何年ぶりだろう。

政府はだらしない。東電は嘘つきだ。日本の技術力のレベルは低かったのだ。
今,彼らを批判する言葉は,いくらでも尽きることなく出てくる。
あまりにも多すぎて整理がつかないくらいだ。

しかし,確実なのは,地震と津波によって直接的な被害を受けた人だけではなく,原発が機能不全に陥って放射能をまき散らして,その被害を受けている人がいることだ。
そして,原発が,政府や学者や,東電が考えていたような,どんな事態でも何とかなる人間に優しいものではなく凶悪なものだったと言うことだ。

私たちは,世界にヒロシマ,ナガサキについでフクシマの名を今回で知らしめることになった。
フクシマで原発は目下のところモンスターとなって人間の手に余る存在となっている。
そして,いやな言葉だが,「次の大地震」では別の原発が,いつモンスターとなるか分からない。
起こってしまった不幸は取り返しがつかない。だが,それを若者や子どもに押しつけることは許されない。

デモに参加している人の群れは,誰も原発被害への不安を抱えながらも,表情は晴れやかだった。
それは,老若男女を問わず正しいことをしているという確信に満ちた晴れがましい顔だ。
何よりも,若者が多く参加していることが,うれしい。

若者よ,もっと怒れ。
おじさん達は,あまりにも高度成長とバブルとで甘い夢を見せられて飼い慣らされてしまったのだ。

こんな時代だからこそ,若者が若者らしくあることが必要だ。
大人が嫌うことや大人から見てできっこないことを言ったり行動したりしてこそ若者だ。
そんな若者がいる限り未来は明るいと信じよう。
                                                                  岡田まさき

投稿者 musashino-law | 2011年6月15日 00:00

ペットを思う

11/6/14

散歩中の交通事故や獣医院の医療事故でなくなるペットが増えている。
ペットが死んだときに,その賠償はどうなるか。

ペットショップで買った犬や猫は,つけられていた値札の値段で決まるのか。
買ってから,5年経っていると車と同じに減価償却をして買った値段の1割になるのか。
あるいは,減価償却済みでゼロと言うことになるのか。
ペットショップで売られていない,捨て犬・捨て猫とかもらってきた犬や猫には価値がないというのか。
しかし,長年一緒に暮らせば家族と同じような価値をペットも持つのではないのか。
ペットをなくした飼い主の悲しみはどうしてくれるのか。

ペットも法律からみればもの扱いである。
そうすると,ものが壊れて使えなくなって悲しむ人に慰謝料を請求する権利はない。
従って,買い主からみればペットが事故で殺されたと思っていても泣き寝入りなのだ。

動物好きの弟のおかげで,子どもの頃は,拾ってきたり,もらってきた犬が家には必ずいた。
そして,我が家に7年近くいた雌のゴールデンリトリバーを3年前に送った。
これも飼い続けることができなくなった人から譲り受けた犬だった。
認知症になった母にもなつき,母は他の記憶はなくなっても,その犬のことだけは最後まで覚えていた。
恐がりで甘えん坊で,大きな図体の年寄りになっても子犬のように膝の上に乗りたがった。
見栄っ張りで,池や川を見ると平気で飛び込み,びしょびしょになって遊んだ。
ドライブや散歩をして,うれしさのあまりにしがみついてきた。

彼女の体に異変が起こったのは夏の暑い日だった。
体が動かずに庭にへたり込み,その後は二度とは歩くことはなかった。
そして3週間経つか経たないうちに旅立った。

いよいよ,という時に,彼女は周りに集まった彼女を愛した人間を順番に見渡した。
それは,まるで,最後に「ありがとう。幸せでした。」と語りかけるようだった。
そして,断末魔は,苦しいのか悲しいのか分からなかったが,涙を流しているようだった。

動物に人間と同じ感情とか精神とかが,実際にはあるかどうかは分からない。
動物の行動について,人間が自分勝手に解釈しているだけかもしれない。
しかし,ペットと人間には決して軽くはない共有した時間がある。
それに対しては,きちんと賠償をするのが筋ではないか。と思う。

問題は,その理屈だ。それが難しい。        
                                                   岡田まさき

投稿者 musashino-law | 2011年6月14日 00:00

AKB48総選挙に思う

11/6/13

とにかく,すごい盛り上がりだった。
しかし,おじさん世代どころかハイパーおじさん世代の私は自分の子どもよりも年下の彼女たちの顔と名前が,それでも一致しない。

それにしても,うまい宣伝戦術を考えたものだ。
CDに投票権をリンクさせるとは,並の発想ではない。
そして,本物の選挙での投票価値の平等などどこ吹く風だ。何しろ,CDを買いまくり1人でお気に入りに50票でも100票でも投票できるというのだ。
さらには,本命と今後の成長株とを分散させるというディーラーまがいの猛者もいる。

開票も笑いと涙の渦どころか嵐である。
御本人もファンも真剣そのもので,その涙は爽快でさえある。
若者はこんなにも熱くなれるのだ。それに引き替え,本物の選挙は,しらけぱなしである。

かの,やくみつる氏は,「彼らに早く日常の現実に戻るように言いたい」とコメントした。現実に目を向けろと言うおじさんからの親切心なのだろう。
しかし,彼らや彼女にとっては,自分たちが熱中するものこそが現実なのだ。

自分の力で結果が作り出せる,あるいは作り出せるかもしれないという思いが彼らを突き動かすのだ。
若者は愚かではない。何に精力を使うべきかを知っているのだ。

それに引き替え,本物の選挙と政治はどうだ。
自分の力で結果を作り出せるとはとうてい思えない。
すべての政党と政治家をひとくくりにするつもりはない。
しかし,私たちに政党と政治家の本当の顔が見えない状態が続いている。

衆議院選挙が小選挙区制となってから久しい。
政策の違いを反映させて政権交代を簡単にさせるとか,それでいて選挙民に顔が見えやすくするとか,それこそ甘言を使って,反対を無視して導入した制度であった。
政策の違いがどこにあるのかが見えない。政治が身近になっているとも思えない。
そして,挙げ句の果てに,政策が違うはずの大政党間の大連立か。

他にも色々問題があるだろうが,ここでひとまずは小選挙区制をやめてみたらどうだ。
自分の力で結果が作り出させると思える選挙をやらせて欲しいものだ。
                                                                                                                                岡田まさき

投稿者 musashino-law | 2011年6月13日 09:38

アジサイの花に思う


事務所の近くに,アジサイの花が咲いている。
みんな紫色かと思えば,スカイブルーから,赤色が強いものまで色とりどりである。
同じアジサイと言っても,こうも違うものかと感心する。
漢字で紫陽花というのは,当て字としては美しく,上出来である。

そういえば10数年前に訪れた鎌倉のアジサイ寺も,見事にばらつきがあったことを思い出した。
アジサイの花言葉にはいくつかあるが,その中に移り気というのがある。
色がさまざまに変化する,人間から見ると花が自分の意思で色を変えているように思えるのだろうか,
そのことを捉えて移り気という花言葉を授けたのだ。移り気とは浮気にも通じる。要は心変わりしやすいということだ。

アジサイの色は,その育った土のPHつまり酸性度によると言う話は昔から知っていた。
アジサイの色はリトマス試験紙なのだ。
最近,アジサイの色は,土のPHだけではなくアルミニウムイオンも関与していることを知った。
そうか,それで同じ土でも,隣のアジサイとは花の色が違うのか。
しかもアルミニウムイオンが微妙な働きをするというのだ。
どおりで同じ木でもアジサイの花の色が微妙に違っているのか。
アジサイは,好き勝手に色を変えているのではなく,自分が育った土の,それこそ神の見えざる手によって,色を塗られているのだ。
そうなると,移り気という花言葉はアジサイにとっては,失礼千万なことかもしれない。

アジサイの花の咲く頃になると,弁護士になった年のことを思い出す。
その頃は,司法研修所を4月に卒業して弁護士登録をするのだが,弁護士というものはどういうことをするのか,何となく分かりかけた頃である。

ある人が言っていた。「事件が弁護士を鍛え育てる」「依頼者が弁護士を鍛え育てる」
言い得て妙である。その真意は,それからずいぶん経ってから分かってきた。
現実として目の前にある事実に直面して弁護士は弁護士になろうとするし,なっていくのだ。
頭の中で考えていたこと,あるいは学問として教えられていたこと,それだけでは到底歯が立たない現実。
その中で,事実に食らいついてして理論と結びつける格闘をする。

弁護士も与えられた事実という土でアジサイの花のように色を変えていくのだろうか。
一つ違うことは,私にはアジサイにはない足があって動き回ることができることだ。
まだまだ私も事件と依頼者に育てて鍛えていただきたいと思う。   岡田まさき

投稿者 musashino-law | 2011年6月10日 17:30

弁護士ブログはじめます!

むさしの森法律事務所がつづる弁護士ブログをスタートさせます。
業務的なこともあれば、日常などつづって参ります。
よろしくお願いします!

投稿者 musashino-law | 2011年6月 6日 15:39


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